
「あの日、あのとき、枚方で」は、「枚方で過ごした小さな日常の物語」をコンセプトに、大阪府枚方市での思い出や街の風景、人とのささやかな関わりを切り取ったエッセイ動画です。読むたびに、あのときの風景や気持ちがそっとよみがえる、そんなやさしい時間をお届けします。

あの日のことを思い出すと、今でも胸の奥が少しざわめきます。舞台は、中学3年生の夏。蒸し暑い廊下で、幼稚園からの幼馴染である「Kちゃん」と交わした何気ない会話から、ささやかな気づきが生まれました。
今回は、その一瞬の出来事を丁寧に振り返りながら、私が感じた「可能性の広がり」についてお伝えします。日常の小さなやり取りが、自分の考え方や見方を少し変えるきっかけになるかもしれません。
ぜひ最後までお楽しみください。
幼馴染みとのちょっとした距離感

Kちゃんとは幼稚園からの幼馴染み。
世間では幼馴染みといえば、仲が良いのが当たり前のように思われます。けれど、Kちゃんは私によく意地悪をしてきました。
強気でわがままなところがあって、正直なところ、私は少し苦手に感じていたのです。
それでも、そんな彼女との日々のやり取りの中で、知らず知らず自分の感覚や考え方が少しずつ形作られていったように思います。
夏の廊下で交わした言葉

中学3年生の夏、ちょうど進路を考えはじめる時期でした。
ある日、蒸し暑い廊下で私はKちゃんにそっと尋ねました。
「音楽科のある高校に行くの?」
すると、意外な答えが返ってきました。
「普通の高校に進学する」

私は驚きました。
Kちゃんは幼い頃からピアノが得意で、文化祭でもよく演奏していたからです。だから自然と、私はKちゃんは音楽科のある高校に進むものだと思い込んでいました。
その思い込みが、あっさりと覆されたあの瞬間。何気ない会話の中に、私は自分の中の固定観念がそっと揺らぐ感覚を覚えました。
音楽だけがKちゃんの道ではなく、可能性は無限大――そんな気づきが、静かに胸に広がったのです。
時を超えて今も残る言葉

今、Kちゃんがどんな道を選び、何をしているのかは正直知りません。
幼馴染みではあるけれど、あの頃の意地悪でわがままな面もあって、今さら仲良くなろうとは思わないのです。
それでも、あの夏の廊下で交わした一言――「可能性」という言葉は、いまも私の胸にそっと残っています。
自分の道を一つに決めつける必要はない。
そんな思いが、静かに背中を押してくれるのです。

中学3年生の夏、Kちゃんとのささやかな会話から得た「可能性」という感覚は、いまも私の心の中で静かに光っています。日常の小さな出来事が、自分の考え方や見方を少しずつ広げてくれることを、改めて感じます。
動画では、音楽とナレーションであの日のやり取りをお届けしています。ぜひご覧ください。
続きはYouTubeでお楽しみください

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制作:社会事業開発ACTION